アンサンブル立ち上げヒストリー秘話 第4回

更新日:9月22日


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アンサンブルの立ち上げヒストリー秘話 第1回

アンサンブルの立ち上げヒストリー秘話 第2回

アンサンブルの立ち上げヒストリー秘話 第3回

からの続きで、アンサンブル立ち上げヒストリー秘話をご紹介いたします。

前回の記事を読んでいない方は是非読んでから、今回の記事に進んでくださいね。

アンサンブルが出来るまで、第4回 最終回です★

9、Suriya先生のレッスン

Parisの語学学校を転々とした末に行き着いたSuriya先生の個人レッスンは、無料の体験レッスンからスタートしました。 落ちこぼれ仲間たるタイ人の友人を疑うワケではありませんが、私にはこれまで失敗ばかりが続いていたというトラウマがあるのも事実。不安を抱えての立ち上がりだったことは、正直に告白しなければなりません。 しかし始まってみるとビックリ。先生はたちどころに私のレベルを見抜き、私に合ったレッスンを提供するという驚きの授業を展開。そしてこの時、私は初めてフランス語で言われたことが解り、フランス語で考え、そしてフランス語で返事をすることが出来たのです!

語学学校ともエシャンジュとも全く違う、異次元の感覚を覚えました。 たった1回のレッスン。ただそれだけのことで、以前から苦労して苦労して、本当に大変な思いをしていたフランス語会話がスムーズにできるようになったと実感したのですから、「今までのレッスンは何だったのだろう?」という気持ちになるのは当然です。

Suriya先生にリードして頂きながら初めてフランス語を2時間たっぷりと話した時、思わずこんな思いが頭に溢れて来ました。 ”良かった!私は馬鹿じゃなかったんだ!” ”今まで学校で勉強したことは、ちゃんと頭に入っていたんだ、それをアウトプットする機会に恵まれなかっただけなんだ!”

何てダメな人間だと、自分を責め続ける日々。そんな毎日が楽しいはずはありません。 その日常が一転したSuriya先生宅からの帰り道。今まで嫌いだったParisの生活が、急に楽しいと思えました。 道端に咲く花すらも美しいと思えないくらい荒んでいた私の心でしたが、

Parisに来てからこの日初めて、

空がきれいで、

街並みが美しいと思えたのです。

フランスで生きるには、

フランス語を話せるようになるのが何よりも大事。

そうすれば文化の中に溶け込み、

フランス人の話を理解し、

彼らと交流し、

この地で楽しく生活を送ることができる。

ということを初めて、身を持って理解することが出来たのです。



さてここで、私のフランス語を飛躍的に伸ばして下さった


カリスマ講師、Suriya先生

について少しご紹介しておきます。 先生はご両親のお仕事の関係で、生まれは日本。2歳の時にフランスに戻りました。 フランス語講師になるべく教育を専攻しましたが、実際語学学校に勤めようとしても、車椅子のため黒板の上の方に文字が書けないということで、研修期間で断念。その後大使館に就職し、そこで本格的にフランス語講師になられました。

私が出会った時は、退職されてから数年が経った頃でした。 その時点で講師歴が45年以上もあったSuriya先生は、FLEの資格も所持するベテランであるばかりか、「彼女に答えられないフランス語文法と規則はない」とまで言われる程のカリスマ講師。人生のすべてをフランス語教育に捧げてきた方で、数多くの国際人を輩出されてきたそうです。 彼女ほどの講師には、ひょっとすると今後二度と出会えないかもしれません。


10、語学学校とSuriya先生のレッスンと友達の帰国

Suriya先生とのレッスンで手応えを感じた私は、在仏中は「Parisの語学学校で3~4時間勉強した後に、Suriya先生の自宅で2時間勉強をする」というパターンで生活をするようになりました。 しかし仕事の都合上、頻繁に日本へ帰らなくてはなりません。でも日本にいる間はどうしても出来る勉強の範囲が限られるので、せっかく覚えたことを忘れてしまう……開きかけた道が閉ざされたような感覚を覚え、途方に暮れました(仕事もすごく忙しい)。

これじゃあ、いつまでたってもフランス語が身につかない!

フランスでフランス語が話せないという事は、どういうことでしょうか?日本に来た外国人が日本語が話せないのとは、少しレベルが違います。

例えばParisに来てから仲良くなった日本人のクラスメイト達は、様々な夢を実現するためにフランスに来ていました。彼らの多くは実に恵まれた才能を持ち、成功する可能性は十分です。 にもかかわらず、「フランス語が話せない」というその一点だけでスタート地点に立つことすら許されず、挫折して日本に帰らざるを得なくなり……そんな姿は、それこそイヤと言うほど見て来ました。

この国では、フランス語をまともに話せないと認めてもらえないのです。

私だって、帰国に追い込まれこそはしませんでしたが、例外ではありません。フランス語が話せないために、様々なチャンスを目前にしながら掴む事が出来ず、何度も悔し涙を流しています。

フランスには世界中から世界一を目指す人が集まります。そして成功する人たちは皆決まって、3~5か国語を操ります。世界の舞台に挑戦するということは、そういうことなんです。


日本からは、才能あふれる人材が毎年沢山やって来ます。でもそんな人たちが「フランス語が話せない」だけの理由で挫折をしてしまうのは、あまりにもったいない! でも、安い料金で、手軽に、質の高いフランス語を学べる環境が日本には無い……

”無いなら、私が作っちゃおうかな?だって私がそんな環境で習いたいから”

”今まで私がしてきた苦労を生かしたサービスが、誰かの役に立つかもしれない”

誰かが何かをしなければ、この環境はずっと変わりません。 安全で健全な環境を確保して、講師も生徒も真剣にフランス語だけと向き合える学校があれば、どんなに素敵なことでしょう。 そしてSuriya先生のように素晴らしい講師だけが教える学校だったら……もう完璧です!

あともうひとつ「学校を作ること」に関して、私を後押しをする理由がありました。 Suriya先生に習い始めてからというもの、彼女の事が気掛かりになり始めていたのです。というのも、先ほどすでにご紹介させていただきましたが、Suriya先生は生まれてすぐに下半身不随となり、車椅子の生活を送っていらっしゃるため、この先フランス語講師を在宅で継続していくには色々と心配な点があったのです。

そこである時、私は意を決してSuriya先生と話し合い、次のような決定をしました。

講師も生徒も自宅に居ながらにして、教えられそして学べる「Skypeの学校」を作ろう!

アンサンブルパリオフ会の時のSuriya先生

これが、アンサンブル立ち上げに向けた第一歩。いわば「産声」でした。 そしてそれから3か月後、アンサンブルが開校したのです。

今回「アンサンブル立ち上げヒストリー秘話」を公開しようと思った理由の一つが、年明けに生徒様から立て続けに、


「パリに3年間語学留学した結果、一番良いフランス語学校はアンサンブルでした」


「アンサンブルでフランス語を勉強出来たから、フランス留学は大成功でした」


「色々なフランス語学校を10年以上渡り歩いて、最後に行きついたのがアンサンブルです。絶対にこの学校をなくさないでください。アンサンブルなくして、私のフランス語学習はありえません」


「私たち親子にとって、アンサンブルはただの『オンラインフランス語学校』でも、『数あるフランス語レッスンのうちの1つ』でもなく、特別な存在です。」

などといった、感謝のメールを沢山頂いたことでした。

”もし生徒が一人も集まらなかったとしても、私と友人がSuriya先生にSkypeで習うから、きっと大丈夫!”という、強気なのだか弱気なのだかよくわからない気持ちを糧に、必死に開校準備を勧めていたあの頃。正直、こんな風に生徒様から感謝のお言葉を頂けるなんて、夢にも思いませんでした。

そして数年が経ち、段々と増えて行く生徒様の数や、このようなご連絡をいただく機会が次第に多くなって来て、

”ひょっとしたら、少しは皆さんのお役に立てているのかな?” このような気持ちを、僅かとはいえ感じられるようになって来ています。 そしてアンサンブル立ち上げまでの紆余曲折を皆さんにお話すると、少しは共感していただけるかな?と思えるほどには、心の整理と自信がついて来たのです。

アンサンブル立ち上げの舞台裏。想像していたものとはずいぶん違う、少し泥臭いものだったかもしれません。 しかしもっと泥臭くなってもかまいません。私はこれからも、いやこれまで以上にアンサンブルの運営に自分の人生すべての想いを注ぎ、「世界一のフランス語学校」を目指して日々頑張って行く所存です。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

2013年1月

あとがき 2022年9月16日

2017年8月のある日、Suriya先生は天に召されました。

このメッセージを天国にいらっしゃる、Suriya先生へ贈ります。


お元気ですか?きっとお元気ですよね。目を閉じると思い出すのは、優しいあなたとの思い出ばかりです。あなたを思い出すたび、涙が溢れます。


もっと長く生きてくださると思っていたので、こんなに早く、お別れの言葉も言えず、さよならするなんて思いませんでした。あの時、なぜ病院に無理して行かなかったのか。なぜ、どうして……そんな思いがいまだにふと込み上げて来てきて、胸が苦しくなります。


当時のことを思い出すと今でも後悔するけれど、でもきっとあなたなら「気にしていないから、問題ない、大丈夫」と、笑い飛ばすことでしょうね。


会えなくなって5年が経ちますが、一緒に重ねた月日を、昨日のように思い出します。そして辛い時、困った時、心の中で話しかけると「大丈夫、なんとかなるよ」という返事をくれますね。そして必ず笑っている。


あなたが見守ってくれているのを、いつも感じます。困った時はそっと近くに寄り添ってくださり、勇気をくれていることを感じます。このメッセージを書いている今も。あなたとは生きている時以上に、心で繋がっていることを感じます。


もうあなたと会えなくて、フランス語が学べないのはとても悲しいけど、それを言ってもどうにもならないので、できるだけその事は考えないようにしています。


まだまだ私は未熟です。些細なことで動揺してしまう自分を情けなく思うことも多いですが、どんな時もあなたに恥ずべきことが無いよう、胸を張って、自分の信じた道を、真っ直ぐ歩みたいと思っています。人生は長いようで短い、だから後悔なく生きる、毎日を大切に生きるあなたから学んだ様々なことを、大切に忘れないようにします。


私の人生を変えてくれて、アンサンブルを誕生させてくれて、成長させてくれて、そして何より出会ってくれて、本当にありがとうございます。あなた無しでは今の私も、アンサンブルも存在していませんでした。感謝の気持ちしかありません。この先も、あなたとのことは忘れません。


私もいずれは、そちらへ行くことでしょう。その時には、話しの続きを聞かせてください。

もっとあなたと話したかった。まだまだ、たくさん、話したいことがいっぱいあります。

その時は、何語で話しましょうか?


2022.9.16 三上和美

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